私は庭によって生かされている。
そう実感したのは今日である。
いや、何度かそれとなく感じたことはあったけど、今日ほど痛感したことはないのでは。
先月、留守にして多くの植物を枯らしてしまったショックもあって、最低限のお世話はするものの、より快適な庭ライフに向けての庭アップデートは最近疎かで、庭は若干荒れていた。
だが今日、久々にその気になって晴れた庭に出て、ストレリチアを植え替えている時。
日光のせいか。外気のせいか。土いじりという行為のせいか。はたまた生命、植物達に囲まれているせいか。育ててきた植物の世話をやくという存在意義を感じる行動のせいか。
スーッと、セロトニンが湧いて出てくるような、胸がすくような、詰まってたものが通るような、目が開くような気持ちがした。
この場所が、この行為が、今の私にとって、まったく嘘偽りがない違和感のないものであることを実感した。
庭によって、私は自分を取り戻している。
つまり、仕事していると覚える違和感、ここで私は何をやっているんだろう?これは私のするべき仕事なのだろうか?人生の無駄遣いではないか?自分が人生で為すべきことを今ここでやっているとはどうしても思えないんだが。。
というような如何ともし難い違和感やストレスを抱えていることに逆に気づいた。
そういうものが、スーッと溶けていくのを感じた。
ということで私は今日は最大限、庭で過ごすことにしたし、これからも雨の日意外は、なるべく庭で過ごすことにする。

夏は昼間は灼熱、夜は蚊が出るので、そんなに長居しないし、春と秋は季節は昼間は楽しんでも、陽が沈むと寒いから長居しない。冬は日が当たらないので、基本出ない。
そんな庭だけど、蚊取り線香焚きまくって、蚊除けスプレーしまって、ブランケットにくるまれば今夜なんて割と庭でずっと過ごせるんだわ。
ということで日暮れから今23時まで、4時間位庭にいる。
幸せだ。
何がポイントなのだろう?屋外の居間空間。
とはいえ非日常感があるからだろうか、キャンプ感覚のような。
いやもしかしたら、自分らしく生活していた海外暮らし時代、しょっちゅう心地よい風に吹かれての屋外居間空間で過ごしていた頃を思い出すからだろうか。
自室にあるベッドやテレビがないことが大きいのか。やろうとしていたことに集中できる。
昼間は、庭にいると植物に目がいきがちで、植物の世話を始めてしまい、仕事やらに集中できないことも多いけど、夜は違う。
目が慣れて、完全な暗闇ではないのだが、ほぼランタンとラップトップの明るさだけで、静かな夜は、ただの夜ではなくて、自分だけの特別な夜。
幸せだと感じたり、何の希望も抱けないと感じたり、ブランコのように揺れながら生きている日々だけど、確実に庭はいつも私に幸福感を与えてくれる。
私だけのサンクチュアリ。
もともとそういうものを作りたいと思っていたけど、気づけば築けていたんだな。
私の愛するものだけで構築された庭。
ここは希望に満ちている。成長への希望、やがて花が咲く希望、果実がなる希望。
新葉のピカピカな緑、やっと咲いた花、いつのまにかつけた実、そういうのを可愛い、綺麗、嬉しいと感じることも、陽射しや風が心地よいとか、空が綺麗とか、そういうのも、幸福感をくれるんだろう。
それとも植物が何かいい作用を私にくれてるのかな。ま、ありていにいえば、光合成してるから、酸素が濃いのかな。でも夜は違うよね。
思えば、原因不明の目眩がやまず絶不調で、ベッドから起き上がってはベッドに逆戻りを繰り返した日も、無理矢理庭に出て、庭をウロウロしたり、しばらく椅子に座ったりしてたら、不思議と目眩が治った日があった。
咳が酷くて喉が詰まり眠れない、横になれない苦しい夜も、庭に出てハンモックに横になれば幾分楽だった日もあった。
私の正気を保たせてくれてる庭。
今の仕事も、在宅勤務で、庭で働けるなんて素敵すぎると思っていたことを思い出した。
明日は出来る限り庭で働いてみよう。